年齢は関係ない!30代から海外生活に挑戦した私が得たもの失ったもの

こんにちは。さかもとみか( @mica_clip )です。

わたしが単身渡米したのは30歳になったときでした。

大学では貿易を専攻、新卒では旅行会社に入社して海外添乗員も経験。「国際的な仕事」に憧れていたので留学したいとも考えていましたが、機会がなく(というか勇気がなく)結局20代は仕事ばかりしていました。

29歳のとき、ふと「いつかやりたいこと」って一体いつやるんだろう。残された時間を考えると、叶えるタイミングってそうそうないのでは?と思い立ったんです。

一般的には、30歳で渡米するというのは年齢的に遅いほうかもしれません。適齢期ということもあり、両親も友人も相当びっくりしていました。

わたしは、海外生活にチャレンジしたことによってたくさんのことを得ました。また、失いました。もちろん実際に行くまでには、めちゃくちゃ迷いました。

もし、いま同じように迷っている人がいたら、思い切って新しい環境に飛び込んでみてほしいです。

わたしの渡米方法


 
わたしの場合、なんとなくまた学生に戻るのも違うなと感じて、有給インターンシップ(J1ビザ)という滞在方法を選びました。

18カ月間インターン生として米国に籍がある企業で働ける研修プログラムで、国務省が管轄しています。日本での就業経験があれば比較的ビザも取りやすく、申請から発行までおおよそ2ヶ月ほど。また一年半という期間もちょうどいいなと感じました。

基本的に、他のビザへの切り替えはできず、大使館面接では「働くのではなく学びに行くこと」「研修プログラム終了後は帰国すること」と約束させられます(実際にはそのまま就労ビザを取得する人も多いのですが…)。

駐在員とは違い企業からの派遣ではないので、それまで勤めていた職場は退職。就業先の決定もビザの取得も渡米資金もすべて自己負担です。前者二つはエージェントに依頼しました。

J1ビザについてはまたいつかまとめますね。

最初は滞在方法を決めていなかったので、語学留学にするか、ワーホリにするか、かなり迷いました。複数の留学エージェントにコンタクトを取って資料請求したり、無料相談(電話、対面)を受けに行ったり、後悔がないように情報収集は念入りにしました。

得たもの


 
まずは得たものから。30歳という年齢でチャレンジしたからこそ学んだことは多かったです。
 

生きるバイタリティ

渡米前まで地元でひとり暮らしをしていたわたし。

家族や友人、同僚と楽しい時間を過ごしながらぬくぬくとした生活を送っていたのに、誰一人として知らないアメリカへ行くなんて!

さすがに出発する頃には少しナーバスになっていましたが、もともとあまり動じない性格だったこともあって、新生活は悩みまくりながら何とかやっていけました。

飛び込んでしまえば、もう新しい場所の生活習慣に合わせていくしかないので楽しんだもの勝ちだと思って暮らしていました。案ずるより産むが易しというのは本当です。ダメなら元に戻ればいいと思えることも心強かった。
 

ポジシティブ思考

わたしの座右の銘の一つに「不安は想像からくる」というものがあります。新しい環境、しかも言葉が通じない海外。もちろん不安はたくさんあります。

でも、いま不安に思うことってすべて現実ではなく想像なんです。自分の心が作り出したもの。起こるか起こらないかわからないことに気を取られてワクワクした気持ちを削り取られるなんてもったいない。

もう一つ「不安=準備不足」です。自分にできる限りのことをやったと思えば不安は減ります。海外生活では不安に思うことなんてキリがなく溢れてくるので、「なんとかなる」と腹をくくることの連続でした。
 

貧乏を楽しむノウハウ

滞在先となったサンフランシスコ郊外は、いわゆるシリコンバレーと呼ばれる世界的なIT企業の本社が集中するエリア(狙ったわけじゃなく、たまたまです)。東京よりもニューヨークよりも物価が高いと言われているにも関わらず、当時の研修費用はたった1200ドル。当時の為替で10万円以下でした。

当時同じようにインターンシップで渡米していた同僚たちは、みんなシェアハウスに住んでいました。わたしも中国出身のおばちゃんが住んでいる家の一部屋(6畳)ぐらいを使わせてもらうヤドカリ生活が始まりました。

なるべく安い食料を調達すべくヘンテコなスーパーに入ったり、ごはん+αのアレンジレシピがやたら増えたり、コストコで買ったカップラーメンを貧乏仲間同士で分け合ったり。20代で肥えていた物欲がまるごと削ぎ落とされましたね。
 

いろいろな国籍の友達

語学学校へ通ったり、市が運営する英語教室へ参加したり、特に渡米してすぐは英語を習得するのに必死でした。その中でたくさんの出会いがありました。

それまで、日本人以外の人と触れ合うのは旅行会社時代に仕事で接した海外スタッフ、もしくは日本で習っていた英会話の先生ぐらいだったので、最初は戸惑いました。

でも当たり前だけど「〇〇出身」だからと言って同じような価値観を持つ人ばかりじゃない。結局は、人次第で相性もあるし、あまり身構えることはないんだと気付いてからは友達作りも楽しくなりました。

第二ヶ国語ならまだしも、もともとアメリカに住んでいるネイティブの友達との会話は慣れないと大変だけれども、みんな優しい。わたしが滞在するサンフランシスコ郊外は移民が多いエリアなので、日本人だからといって差別を受けたこともなく恵まれた環境だったと思っています。
 

日本への愛国精神

海外生活の経験がある多くの人が感じるようですが、わたしも同じく「日本ってなんて素晴らしいんだろう」とアメリカで暮らしてみて初めて心から思うようになりました。

比較的安全であること、街が清潔なこと、サービスが丁寧なこと、食事がおいしいこと、桜がキレイなこと、温泉が最高なこと…。

それまで当たり前だと思っていたことが全然違う。

わたしが暮らしている街は治安がいい場所ではありますが、夜に発砲する音が聞こえたこともあるし、レジ打ちのお姉さんに舌打ちされたこともある。母国ってなんて素晴らしいんだとろうと気付いただけでも、外へ出てみてよかったです。
 

他人から嫌われる勇気

日本で働いているときは、20年来の友人に「八方美人だ」とハッキリ言われるぐらい、人の顔色を伺うことが多かったです。でも、アメリカに来ていつのまにか他の人が自分をどう思っているのか気にならなくなりました。

理由は、そんなことに関心を持つ余裕がなかったから。そもそも付き合う人たちの文化背景が違いすぎたから。

こちらがどんなに気にしていても、想像の斜め上からくる反応ばかりなので「考えてもしゃーないな」という結論にいたり、いつのまにか日本人の友達に対しても同じような感情を持つようになりました。

野望を持ってアメリカに来た。叶えたいことがたくさんある。他人の目を気にしているヒマはないのです。
 

家族への思いやり

男兄弟はいるものの一人娘なわたし。おそらく両親はずっと側にいるものだと思っていたはずです。現に、海外へのチャレンジを告白したときは「なんで今さら行くの?」「アメリカ行くより嫁に行け」などと散々言われました。

でも、結果的にはわたしのことを信じてくれて、一番応援してくれたのも両親。誕生日にはわたしの好きなものがいっぱい詰まった箱が届いたこともある。いつも気にかけてくれています。

離れて寂しい思いをさせた分、親孝行しないとなぁ、と。

出発当日、見送りに来てくれた母親が初めてわたしの前で涙を流しました。それも、別れるまでは気丈に振舞っていたのに、バイバイしてしばらくして振り返ったら泣いていたのです。一生忘れられない姿。
 

現在の夫と子どもたち

これはまったくの予想外だったのですが、アメリカで現在の夫と知り合い、たいして紆余曲折もせずに結婚するまでに至ります。ちなみに日本人です。

日本にいた頃はすってんてんだったわたしの恋愛事情。30歳すぎてからの出会い。なんで結婚できたんだろう…と考えたとき、いくつか思い当たる理由がありました。

わたしが過去に縛られず真っ白だったこと。需要と供給のバランスが変わったこと。

詳細は長くなりますので、また機会があったら書きたいですが、何かを得るときは何かを捨てるべしとはよく言ったもので、いろいろと整理整頓したのが功を奏したのだと思います。

失ったもの


 
もちろん失ったものもあります。30歳にもなると抱えているものも多いですしね。
 

親兄弟や友人との時間

アメリカに行くのを決めたのは、日本が居心地悪かったわけじゃありません。それまでずっと地元で暮らしていて、適齢期により結婚した友達とやや疎遠になっていたものの(笑)、特に大きな不満もなく生活していました。

渡米してからは一年に一回帰省するぐらい。長めには帰りますが、親兄弟と過ごす時間がガクンと減ってしまったのは自業自得ながら寂しいです。

今はまだ両親も若いので、夫と話し合いながら好きなように選択できていますが、これから少しずつ悩みも増えていくのかもしれません。
 

やりがいのあった仕事

前述した通り、企業からの派遣ではないので仕事は辞めなければなりませんでした。J1ビザでアメリカに滞在できるのは一年半限定。休職できたら素晴らしかったんですが、そうもいきません。

仕事は好きだったし、30歳で無職になるのは正直不安もありました。渡米後にインターン生として働いているときは、周りで企業勤めしている日本人は駐在員が多かったので、辞めて一から探したと言うとみんな驚いていました。

手放してみて、わたしはそれまでやっていた仕事が本当に好きだったことに気付けたのでよかったです。
 

20代で貯めた貯金

渡米費用は全て自己負担でした。エージェントやビザ申請に支払うお金、アメリカまでの航空券、滞在先の生活必需品…貯金は初期にまずガツンと減りました。

滞在先が研修費用の1200ドル(10万円以下)でやりくりできるエリアではなかったため、その後も、貯金を切り崩しながら生活する日々。

一年半という限られた期間なのだからできるだけたくさんのものを見たいし経験したい。だからお金もケチっていられない。そんなことを考えていたら、20代の社会人生活で貯めたお金はすべて消えました。大げさでもなく、本当にゼロになりました。
 

安定していた地元生活

よくびっくりされるのですが、わたしは東京に住んだことがありません。多くの人は地方→東京→海外というステップを踏むようですが、東京をすっ飛ばしてアメリカへ行きました。

30年住んでいてもなお地元で暮らしていたいほど愛が強かったし、親兄弟といつでも集まれてワイワイ楽しい。そんな生活を捨ててまで海外へ行くべきなのか葛藤は大きかったです。

結婚式などのイベントごともアメリカにいると参加できない。どうしても疎遠になってしまう友達もいたりして切なかったです。
 

サラリーマンマインド

20代の社会人生活は大いにエンジョイしており、フリーランスになりたいとか会社を興したいとか一度も考えたことがありませんでした。何なら「サラリーマンが向いている」と思っていたぐらい。残業もドンとこいでした。

しかしアメリカは、仕事よりプライベートを優先する傾向にあります。もちろん人それぞれですが、定時にはきっちり帰るし、バケーションも当然の権利として休みます。不在の間の仕事はお互いさま。

また、やっぱり主張の国なので否が応でも「ひとりの人間としてどう生きたいか」を考えさせられる場面が数多くありました。次第にわたしも個人事業主のような形で働くことが多くなってきて、今は会社勤めはもういいかな、と思っています。
 

ナイーブだった内面

これはアメリカに行ったからというより精神が熟したのかもしれませんが、日本ではいちいち気に病んでいたことがアメリカに住み始めて全く気にならなくなった、ということが多々あります。

「他人から嫌われる勇気」のパートでも書いた通り「気にしてもしゃーない」という諦めのような気持ちがあるのと同時に、一人でアメリカに来て働くということをやってのけたことで自分に自信がついたのかもしれません。

多少ナイーブさがあったほうが、他人の痛みに共感しやすかったり、相手の意図を汲みやすかったりするんですけどね…。あと、記憶力がめちゃくちゃ悪くなりました。これは年齢のせいか。

まとめ

自分で振り返りながら思いましたが、失ったものに関してもメリットとして転換できていることが多い!

もう30代だから…と年齢を悲観するのは日本人の悪い傾向だと思います。実際に海外で暮らしている日本人と出会って話していても、年齢を言い訳にせず、大学に通ったり新しいチャレンジをしている人ばかり。

もし悩んでいるのなら、年齢を気にせず挑戦してほしいです。

無料小冊子「Webライターはじめかたガイド」

Webライターを始めるにあたって
必要な情報を盛り込んだ無料小冊子
「Webライターはじめかたガイド」
プレゼント中!

ダウンロード登録はこちらから▼
「無料小冊子プレゼント」

Related Entry

「デュアルライフ」の意味と実現した人がやっている仕事とは?