発信を続けるために、何よりも心を守りたい
最近、すっかりブログやSNSから遠ざかっていました。
Twitter、Instagram、note、ワードプレスと様々なプラットフォームに参加してきて、これでも私は細々と続けているほう。
その間に、いなくなった人もたくさんいます。
インターネットを経由して知り合ったお友達。付き合いの深さはそれぞれなので、やめますと報告してくれる方もいれば、知らない間に消えた方もいて。まぁ、そんなものかなと思いつつも、やっぱり寂しいですよね。
やめる理由は、「しんどい」がほとんどのようです。
他人からの批判や監視でいやになったケースもありますが、自分から生まれる負の感情に耐えられないケースも多い。
華々しく活躍している人たち
夢を先に叶えている人たち
たくさんいいねもフォロワーも獲得している人たち
そんな方々を眩しく感じるあまり、私なんかが発信しても、と自己否定に走ってしまうという…。華やかに見える人たちにだって、背景は色々とあるはずと分かっているのに光の部分を羨ましく感じてしまうんですよね。
私も羨望や嫉妬を持て余すことがあります。でも、昔よりはうんと減りました。
他人を見る暇があったら自分を見つめよう
と切り替えるようにしたからです。
比較するぐらいなら見なくていい
嫉妬するぐらいなら関わらなくていい
そういった精神でいます。これはマイルールで決めていて、負の感情が芽生えたらサクッと摘むようにしています。
ブログやSNSを続けるためには、「心を守るルール」が必要。
羨望や嫉妬は時にエネルギーになるので、すべて悪いとは思いませんが、モヤモヤして、モチベーション下がるぐらいなら見なくていい!
その時間で、もっと自分のハートやお客様を見つめたほうが健全ですよね♪
あと、少し話はそれますが、「SNSを止めるぐらいなら顔を出さなくていい」というマイルールもあります(笑)
発信のご相談でよく「顔出し苦手…」とのお声をいただくのですが、個人的には出せるようになったら出せばいいと思っています。私もほとんど出していません。
でも、その代わりに何倍も心がけてきたことがあって、「文章で自分を出す」ということ。
自己開示=顔を出せる、だけではないと思うんです。そうじゃなくて、自己開示=心を出せる、と捉えると違う努力ができるようになりますよね。
心を出せるって変な表現かな?つまり、気持ちや考えを言葉にできるってことです。どっちもできたら最強だし、いわゆる売れっ子さんはきっとそうなのでしょうが…
発信はラブレターと同じだと思うし、だとしたら、心からの気持ちを書くのが一番届くのかな、なんて。
ただし一人よがりの手紙にならぬよう相手を理解する姿勢も求められる。私もまだまだ勉強中の身ですが、それは忖度とはまた違っていて、思いやりの部類かなと思います。
文章の中に、自然体の思いやりを込められたら理想的ですね。
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