ブログやSNSの「価値ある情報」は誰が決めるのか?

最近は引っ越しに伴い仕事をセーブした状態でしたが、

趣味(日記やエッセイ)の文章を書いていたこともあり、相変わらずライティングについて考えていました。

私はキャリアの始まりが編集者で、書くよりは書いてもらう側の人間です。

自分のことがブログに書けなくて、2018年秋からnoteというサービスを使いトレーニングを開始したわけですが、それ以来、

人に伝わる文章とは?

もっと言えば、

人の心を動かす文章とは?

について、3年間ずっと考え続けてきたと言っても過言ではありません。

お客様に価値あることとは

よく起業家界隈でも教えられてますよね。

お客様に価値あることを書きましょう

私も講座の中でお話ししています。

で、最近よく考えているのがこの”価値”って誰が決めるんだろう?」という点です。

研究がてら女性起業家さんなど、色んな人のブログを読んでいる中で時々こんなふうに感じる瞬間があります。

しっかりした文章を書かれているし
お役立ちな内容なのに
全然伝わってこないのはなぜだろう?

記事自体は優れているにも関わらず、温度感が足りないような感覚。書いた方が手を抜いているとかそういう意味合いじゃないんです。

むしろ、時間をかけて、丁寧に書かれているのだと思います。それは分かる。

だったら、何が物足りないのか?

理由がうまく言えなくて、頭の片隅でずっと考えていたんですよね。3ヶ月ぐらい。そして一つ気付いたポイントがあります。

もしかしたら教育一辺倒に見えるのかもしれないな、と。

補足します。

「教育記事」と「共感記事」

いわゆる「ビジネスに繋がるブログ」は、記事が2種類あると言われています。

「教育記事」「共感記事」です。

定義が難しいのですが、ここでは一旦こんな風に考えてみます。

教育記事は、

書いた本人がこれまでの経験で得た
知識や学びをまとめて
ノウハウウとして公開提供するもの

共感記事は、

日頃の何気ないエピソードから得た
気付きや学びを共有して
読んでいる人の共感を呼び起こすもの

もしかしたら、伝わらないのは記事や内容の多くが「教育」に寄りすぎているからかもしれません。

簡単なポイントを挙げるとすれば

良いことを書こう、と思いすぎていないか??

を振り返ってみるといいかと。

学びや気付きは、受け取る側が勝手に感じ入るのが一番だと思うんです。

つまり、

伝える側が「良いこと書いてる感」を出しちゃうと

理路整然としすぎていたり
やたらと圧が強くなったり

してしまうわけですね。

本来ならば、発信する側の人はエピソードから思ったこと感じたことをただ書いているだけなのに、

読んでいる側の人が

「あーなるほどー」と納得したり
「私もそう思ってた!」と共感したり

してくれるのが理想。


読者が価値を見つけてくれる 

と言うと分かりやすいでしょうか。

ぜひ、肩の力を抜いて等身大の自分で書くことを楽しんでみてくださいね。

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